お疲れ様です。今回は「コントロールできない感情やトラブルを受け入れるために、「受容」の精神をトレーニングしよう!」についてお伝えします。
コントロールできないものを受け入れられないストレス
ストレスが起きる根本的な原因の1つが「受容のアンバランス」です。これは、コントロールできない人生の問題を受け入れられない状態のこと。いまの問題をありのままに認められず、現実を否定し続けるせいで起きるストレスです。
例えば、あなたが「仕事で重大なミスをした」としましょう。この時、たいていの人の反応は2パターンに分かれます。
- ミスしたのは事実だから、次は同じことをしないように気をつけよう
- あの時もっと早く仕事に手をつければミスなんて起きなかったのに…
「受容のアンバランス」が起きているのは、もちろん後者のパターンです。自分がミスを起こしたのは既に確定した事実であり、いくら悩んでもコントロールできません。それにも関わらず、いつまでも過去のことばかり考え続けていたら、嫌なことが頭の中で増幅されていくばかり。これではストレスが溜まって当然でしょう。
ネガティブな体験を避けるほどネガティブになる
さらに問題が大きくなるのは、自分の「感情」に対して「受容のアンバランス」が起きた場合です。
「不安な気持ちをいますぐどうにかしたい!」「イライラなんてないほうがいい!」「こんなに怒るなんて良くないことだ…」
誰でもネガティブな感情は嫌なものです。できれば避けたいところですが、人生に不快な体験はつきもの。どれだけ自宅に引きこもろうが、どれだけ人間関係を避けながら暮らそうが、生きている限りネガティブな感情から逃れることはできません。
しかし、ここで自分のネガティブな感情を受け入れられないと、マイナスの心理的なメカニズムが働き始めます。
- 1.イライラや不安から目をそむけて、「ないもの」としてあつかう
- 2.ネガティブな感情を強引に抑えつけるせいで、逆に「イライラと不安」に意識が向かう
- 3.意識が向かったせいで、ネガティブな感情が必要以上に誇張される
- 4.ストレスの悪化!
ネガティブな感情を避けたせいで、逆にメンタルに悪影響が出てしまうわけです。
この現象を、専門的には「体験の回避」と呼びます。近年の心理学では「体験の回避」こそがメンタルを病む最大の原因のひとつだと考えており、多くの研究でも、日々のストレスが大きい人ほど、自分の「緊張感」や「不安感」を認めるのが苦手なことがわかっています。
つまり、本当にストレスに強くなりたいなら、ネガティブな体験を避けるのは最悪のミス。現実的には、「受容」の精神を育てながら、人生のリアルを積極的に受け入れていくしかないのです。
「受容」の精神は神経症の治療などにも使われている
アメリカのノースウェスタン大学の心理学部は、2013年の論文で「受容」の精神を次のように定義しています。
「その瞬間に起きる物事を、そのままに認識すること。楽しいことも辛いことも、起きるままにまかせることだ」
言わずもがな、人生には良いことも悪いことも起きますし、そのたびに私たちの感情もポジティブとネガティブの間を往復し続けます。
ならば、そのような一時の感情の動きに左右されずに、自分の内面に起きた変化をただ受け入れたほうがよほど建設的でしょう。これが、「受容」の基本的なアイデアです。
おそらく、この感覚は日本人にとって周知のものではないでしょうか?
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という「方丈記」の書き出しや、「折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ」と讃えた「徒然草」の一説など、日本には世の無常を意識した文学が多く存在しています。事実、この「受容」の考え方も、西洋の心理学が東洋思想を取り入れる形で生まれたものです。
というと、なかには抹香臭い人生訓のような印象を持つ方もいるかもしれません。いかに「受容」が大事だと言っても、実効性のない精神論でしかないのではないか、と。
しかし、近年では、実際に「受容」の精神が多くの心理療法で大きな効果を上げています。例えば、一部のアルコール中毒や神経症の治療現場では、セッションを開始する前に、次のようなフレーズを患者に暗唱させます。
「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ」
これは、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作った詩の一節。治療の前にこの言葉を頭にたたき込み、ネガティブな感情を受け入れる土台を作っていくわけです。この心構えがあるとなしでは、治療の効果に大きな差が出ることも分かっています。是非、参考にしてください。
今回の内容は以上になります。ご閲覧ありがとうございました。