お疲れ様です。今回は「自分の知識と能力の限界を正しく把握しよう!知的謙虚を磨いて察知力を高め、幸運を掴む」についてお伝えします。
人生においては、ほとんどの人がもう少し自信を失ったほうがよい
「己が実力の不十分なるを知るこそ、わが実力の充実なれ」
古代キリスト教の哲学者アウグスティヌスは、4世紀にこんな言葉を残しました。自分の能力を本当に発揮したいなら、その前に、自分の能力が足りない事実を認識しなければならない、という意味です。
確かに「私には十分な知識とスキルがある」といつも思っていたらそれ以上の努力はしないはずですし、いざ自分が間違ったときにも柔軟に対応できないでしょう。
じつに含畜ある言葉ですが、じつはここ十数年間の研究でも、アウグスティヌスの正しさが明らかになってきました。
「知的謙虚さ」なる言葉をご存じでしょうか?
一言で言えば、自分の知識と能力の限界を正しく把握できている状態のことで、知的謙虚さを持つ人は、己の不十分さに気づいているがゆえに、自らの意見にしがみつきません。多くのデータを総合すると、知的謙虚さのレベルが高い人には、以下のような特徴が見られます。
- 自分の間違いが分かっても、意地にならずに意見を修正する
- 自分とは意見が異なる相手と出会っても、寛容な態度を崩さない
- データやファクトをもとに真実に近づくのがうまい
柔軟な精神は、察知力を高めるために欠かせない要素
知的謙虚さを持つ人は自分の限界を知っているため、そのぶんバイアスに惑わされにくく、客観的な情報をもとに真実を追求できます。いわば「傲慢さ」の対極にあるメンタリティで、一般的な言葉で表現するなら「柔軟な精神」が最も近いでしょう。
柔軟な精神は、私たちの察知力を高めるためには欠かせない要素です。
前提として、私たちが良い偶然をキャッチするためには、身の回りで起きる変化に気づく必要があります。フレミングにおける青カビが生えたシャーレや、スペンサーにおける溶けたチョコレートは、どちらもその代表例です。
しかし、このような周囲の変化とは、すなわち「見慣れた日常とは違う状態」のことにほかなりません。このときに柔軟な精神がないと、私たちは、目の前で起きた変化をなかったものとして扱ってしまうはずです。自らの知識に疑いを持たないせいで、「青カビとチョコレートはただの失敗でしかない」という発想から抜け出せないからです。
あらゆるブレイクスルーは、私たちが以前とは異なる考え方をしたときにしか起こりません。それにもかかわらず、いつまでも自分の考え方にしがみついていたら、運をつかむのは不可能でしょう。
世の大半の人が「私には知的謙虚さがある」と思い込みやすい
ただし、ここで難しいのは、世の大半の人が、「私には知的謙虚さがある」と思い込みやすいところです。
試しに、あなたが何か重要な間違いに気づいたときのことを思い出してみてください。
政治的な問題、精神的な信条、人生でやりたいことなど、自身のアイデンティティに関わることで、最後に考えを改めたのはいつだったでしょうか? そして、それはどのような気分だったでしょうか?
おそらく大半の人は、かなりの苦痛を感じたか、最後まで考えを変えなかったかの、どちらかだったはずです。
事実、デューク大学の調査でも、参加者に「他人と意見が違ったときに自分が正しい確率はどれくらいか?」と尋ねたところ、じつに82%が「他人と意見が合わないときは、ほぼ自分が正しい」と答えています。
逆に「自分が正しいケースは半分以下だ」と答えた人の数はわずか4%にすぎません。私たちが、いかに自分の考えに固執したい生き物なのかが分かるでしょう。
知的謙虚さの研究で有名なマーク・リアリーは、こんなことを言っています。
「人生においては、ほとんどの人がもう少し自信を失ったほうがよい。自分の信念や意見に関しては、誰もが必要以上の自信を持っているからだ」
つまり、ここまでの文章を読んで「知的謙虚さを鍛えたい」と素直に思えた人ほど、すでに知的謙虚さを持っている可能性があります。逆もまたしかりで、もしあなたが「私は知的謙虚さがある」と感じたなら、それは危険信号です。是非、参考にしてみてください。
今回の内容は以上になります。ご閲覧ありがとうございました。